会社沿革 |
年 表 |
藤本興業(株)75年のあゆみ |
昭和23年 1月 |
興亜電気として一般産業電機部品・車両部品の販売を始める。 |
26年 4月 |
東京の鉄道車両工業(株)の九州出張所を兼務し国鉄の各工場および下関工事局からの設備工場・機械保守工事に従事する。 |
30年 3月 |
鉄道車両興業(株)を設立し、資材納入ならびに設備工事を専門に営業活動を展開する。 |
31年 6月 |
中村自動車工業(株)の代理店となる。 |
34年 12月 |
国鉄若松工場へ液体酸素受入装置・同配管工事を納入する。 |
39年 4月 |
(株)日立製作所の鉄道車両部品販売店となる。 |
41年 7月 |
日本エヤーブレーキ(株)の代理店となる。 |
43年 4月 |
国鉄当局の指導を受け、(株)日立製作所・中村自動車工業(株)など18社の資本参加を受けて国鉄の保守会社となる。
車両部品の販売事業を独立させて、新たに藤本興業(株)を設立する。 |
46年 4月 |
鉄道車両工業(株)と西部鉄道機工(株)が合弁し、西日本交通機械(株)となる。 |
48年 10月 |
オイルダンパーの検修工事を受託する。 |
50年 7月 |
福岡市南区に博多営業所を開設、新幹線車両部品の検修工事を始める。 |
62年 4月 |
国鉄分割民営化により、JR各社が民間会社として発足する。 |
62年 10月 |
創業社長・藤本成志は取締役相談役に、後任に藤本親志が就任する。 |
63年 12月 |
「ゆふいんの森号」の全艤装部品を、小倉工場へ納入する。 |
平成 元年 2月 |
保有する西日本交通機械(株)の全株式をJR九州へ売却する。 |
7年 1月 |
103系電車先頭車製作工事を完遂。 |
9年 4月 |
新幹線車両連続換気装置の検修業務を始める。 |
12年 5月 |
ラジエター・処理機の検収場を、JR小倉工場内へ移設する。 |
16年 9月 |
新規事業立ち上げ、諸準備に取りかかる。 |
17年 1月 |
グラフィック事業の、初仕事として、811系電車(4B)の「キットカット」ラッピング。 |
17年 3月 |
本社にstudio CANADA(スタジオカナダ)を開設。グラフィック事業スタート |
令和 5年 1月 |
創業75周年を迎える。 |